無理をしない
今日は、「無理をしない」ということについて書きます。
「前の記事で『努力だー!』『ひとつのことに打ち込めー!』と言っていたのは、何だったんだ!?」
と、言われそうですが(^_^;)
「無理をしない」ということも、私にとっては大事なことなのです。
もし、夢があるなら、成し遂げたいことがあるなら、ひたすらにそのことに打ち込み、努力すること。
そうすることで、夢をかなえることができる、或いは、努力した経験が後の人生の糧となります。
しかし、すべてのことに、全力の努力を傾けていたら、ヘトヘトに疲れてしまいます。
日常のこととか、さして思い入れのない仕事などは、「そこそこ」にこなせばよいと思います。
例えば、日々の家事などで「毎日洗濯しなきゃ!」とか「隅々まで綺麗に掃除しなきゃ!」と、義務感にさいなまれてしまっていては、体も心も疲れてしまいます。
「今日は疲れたな~」と思ったら、家事は「そこそこ」にこなして、体を休めてよいと思います。
仕事も、疲れ切ってヘトヘトになっているなら、「そこそこ」にこなして、無理しなくていいのです。
少し、私のことを書きましょう。
数年前、私は「抑うつ状態」と診断され、仕事を1か月休みました。
少し前には、今度は「適応障害」と診断され、また仕事を1か月休みました。
その頃の私は、「仕事は一生懸命!」が信条でした。努力好きの私らしいですよね(^_^;)
どんな無理難題でも「頑張らねばー!!」と躍起になり。
どんなにひどい上司の下にいても「私が踏ん張らねばー!!」と必死になっていました。
結果、夜眠れなくなり、徐々に体調を崩し、それでも職場で必死にもがいて・・・
心と体を壊してしまいました。
40を過ぎて、体力も回復力も衰えているにもかかわらず、無理を続けた結果でした。
2度の休職を経て、考えたことがあります。
「私にとって、仕事とは何なのか?」ということです。
仕事に誠心誠意打ち込む。それは当然のことでしょう。
しかし、それは果たして、心と体を壊してまですることなのか?
確かに、仕事は好きだ。誇りもある。
でも、自分を壊してまですること?
今まで頑張ってきたのは、会社のため、同僚のためでもあった。
しかし、休職してしまって、会社にも同僚にも迷惑をかけている。
このままじゃ、だめだ・・・
思えば、私の「一生懸命」のやり方が間違っていたのです。
私が一生懸命になったのは、もちろん、会社のため同僚のためではある。
でも、一番は「一生懸命な私」が好きだったからだ。
結局私は、自分を好きでいたいから頑張っただけなのだ。
なのに、大好きなはずの自分を壊してしまった。
これは、本末転倒だ。
もはや、私は若くはない。
仕事に対して、大願があるわけでもない。
人の体力には、限りがある。
ならば、その限りある体力のすべてを出し尽くしてしまうことはやめよう。
大切なのは、決して、倒れないこと。
そのためには、無理をしないこと。
今、COVID-19(新型コロナウィルス)の影響で、職場の環境も変わってきています。
私の職場でも、「熱があるものは出社するな!」とのお達しが出ました(^_^;)
でも、これって当たり前のことですよね。
体調が悪かったら、休む。
みんなが無理をすることなく、休みが取れる。
そんな社会になってほしいと思います。
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