鹿島神宮で夏越の祓

6月は夏越の祓の時期ということで、茅の輪くぐりに、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮へ行ってきました。

茅の輪をくぐることで、年明けからの半年間の穢れを祓い、無病息災を願うのが「茅の輪くぐり」

くぐり方に決まりがあって、毎年「あれ?くぐるんだっけ??」と迷ってしまうのですが、大体の神社の茅の輪の前にはくぐり方が書いてあるので、良く見てくぐってみましょう!

 

鹿島神宮の鳥居は木製。

東日本大震災で倒壊した石造りの鳥居を、再建する時に、境内の木を使って建てたとか。 とても立派です。

 

鹿島神宮の楼門は、日本三大楼門に数えられるほど立派なもの。

水戸藩初代藩主、徳川頼房公(水戸黄門で知られる、水戸光圀公の父)が奉納したそうです。

ということは、江戸時代初期に造られたもの!歴史を感じます。

 

神社の本殿は、だいたい南向きに建てられているそうですが、鹿島神宮の本殿は、楼門をくぐって右手に、北を向いて建っております。

これは、江戸の北、つまり奥州や蝦夷地から江戸を守るために、あえて北向きに建てられているとのことです。

本殿は、徳川幕府第2代将軍、徳川秀忠公が奉納されました。

派手さはないものの、シックで剛健な雰囲気。

御祭神の武甕槌大神にぴったりです。

本殿の後ろにひときわ高くそびえたっているのがご神木です。

 

神宮の杜は、さまざまな植物の北限、南限の植物が生えており、茨城県の天然記念物に指定されています。

この時期は、アジサイがとても綺麗でした。

写真には取りませんでしたが、神宮の杜の奥には、武甕槌大神の荒魂を祭った奥宮があります。

奥宮は、徳川家康公が本殿として奉納されたものを、その14年後、2代将軍秀忠公が現在の本殿を奉納された際に、奥宮として引き移したそうです。

つまり、もともとは父ちゃんの家康が造った本殿を移して奥宮にして、本殿は息子の秀忠が造ったものになったようです。

しかし、親子2代で本殿を奉納するとは、徳川将軍家、どんだけ鹿島神宮が好きなんだか(^^;)

奥宮は現在改修中ですが、お参りすることはできます。

武甕槌大神の荒魂は改修工事中は、本殿向かいにある仮殿にお移りになっておられます。

 

さて、武甕槌大神といえば、思い浮かべるのはやはり、大きなナマズを押さえているお姿。

そのナマズを押さえているといわれているのが「要石」です。

ちょっとみずらい・・・

棒の前にちょこんと出ているのが要石です。

そう、実際に見てみると、意外と小さいのです(^^;)

ちなみに、この石がどこまで地中に埋まっているのか・・・と疑問に思った水戸黄門(水戸光圀)様が、石の下を掘ってみたけれど。。。

掘れども掘れども、石の底にたどり着かなかったとか・・・まぁ、言い伝えですが(^^;)

 

要石よりさらに奥に進むと、美しい水をたたえた「御手洗池」があります。

大昔は、御手洗池がある方が社の入り口で、みなこの池で身を清めてから参拝したそうです。

池のほとりにはお茶屋さんがあって、お団子や飲み物で一息つくことが出来ます。

 

境内をゆっくり散策していたら、すっかり清々しい気分になれました!

茨城でも有数のパワースポット、鹿島神宮。

一度訪れてみてください!